Appearance
シュレーディンガーブリッジ —— 動的最適輸送とDoobのh変換
前章までの最適輸送問題は、供給地から需要地へ「どう運ぶか」という静的な(時間を含まない)マッチングの問題でした。 本章では、ある初期分布 から出発し、ノイズ(ゆらぎ)を伴いながら時間発展するシステムが、最終時刻 において目標とする分布 にピタリと到達するためには、「途中のダイナミクスをどのように修正すればよいか」という**動的最適輸送問題(シュレーディンガーブリッジ問題)**の数理を解き明かします。
1. 離散マスター方程式と経路の確率
ある状態 から次の状態 へ遷移する確率のルール(ベースラインのダイナミクス)を とします。 時刻 における確率分布 は、次の離散マスター方程式に従って時間発展します。
時刻 から までの全ての状態の軌跡(経路)の同時確率 は、遷移確率の積として次のように書けます。
これが、システムが自然に振る舞ったときの「本来の経路の確率」です。
2. 経路のKL情報量最小化とシンクホーンの再来
目標は、初期分布 から出発し、最終時刻に となるような新しい経路の確率 を見つけることです。 ただし、自然の法則に逆らう(ダイナミクスを不自然に曲げる)ことにはコストがかかります。そこで、新しい経路 と元の経路 の間のKL情報量 を最小化する最適化問題を立てます。
- 目的関数:
- 制約条件: * 始端の制約:
- 終端の制約:
この問題に対してラグランジュの未定乗数法を適用します。始端の制約に 、終端の制約に を割り当ててラグランジュ関数 を作り、 で偏微分して と置くと、次のような解が得られます。
ここで、、 と置くと、解は次のように極めて美しい形になります。
驚くべきことに、これはエントロピー正則化最適輸送で現れたシンクホーンアルゴリズム(行列スケーリング)の更新式 と全く同じ構造をしています。シュレーディンガーブリッジは、多変数の経路全体に拡張されたシンクホーンアルゴリズムの姿に他ならないのです。
3. 前進・後退変数の導入と状態の周辺化
知りたいのは「経路全体の確率」ではなく、「ある時刻 におけるダイナミクスをどう変えればよいか」です。そこで、中間の時刻 に着目し、過去と未来の変数を周辺化(足し合わせて消去)します。
新しいダイナミクスに基づく時刻 と の同時確率 は、元の遷移確率 を挟んで、過去からの情報 と未来からの情報 の積として表されることが導かれます。
ここで、関数 と は以下の漸化式を満たします。
- Forward(前進):
- Backward(後退):
また、時刻 における周辺分布(粒子の存在確率)は、この前進変数と後退変数の積としてシンプルに書けます。
4. ダイナミクスの変形 —— Doobのh変換
最後に、新しいダイナミクスの遷移確率 を求めます。 条件付き確率の定義 より、以下のように変形できます。
が約分されて消え、最終的な新しい遷移確率は次のようになります。
この変換を確率過程の理論において Doobのh変換(Doob's h-transform) と呼びます。 元々の自然な遷移確率 に対して、未来の目標分布 から逆算されてきた「後退変数(メッセージ) 」の比率を掛けることで、粒子が自然に目標へと引き寄せられるようにダイナミクスが捻じ曲げられるのです。
この こそが、未来からの「ガイド(道しるべ)」として働き、無秩序に拡散するはずだった粒子たちを、最終時刻にピタリと一つの目標分布へ導くシュレーディンガーブリッジの魔法の正体です。