付録B:量子ビットの物理的実現 —— 超伝導回路とジョセフソン接合
これまで講義では、量子状態を抽象的な「ベクトル」や「波」として扱ってきました。しかし、量子コンピュータ(量子アニーリングマシンやゲート型量子コンピュータ)を現実の世界に作るためには、意図的にコントロールできる**「2準位系(量子ビット)」**を物理的に組み上げなければなりません。
この付録では、現在最も有力な方式の一つである「超伝導回路」を用いた量子ビットの作り方を解説します。
1. なぜ調和振動子では量子ビットにならないのか?
第8部で学んだLC回路(インダクタ とキャパシタ )やバネの振動子は、マクロな世界であっても量子力学的に振る舞います。 コイルとコンデンサに挟まれた電気振動のハミルトニアンは、調和振動子と全く同じ形になります。
(ここで電荷 が運動量 に、磁束 が位置 に対応します)
この系は、 刻みの完全に等間隔なエネルギー準位 を持ちます。 しかし、これでは量子ビットとして使えません。状態 と の間の遷移エネルギー()と同じエネルギーのマイクロ波を当てると、意図せず から 、さらには へと、際限なく階段を昇り降り(漏話)してしまうからです。
量子ビットを作るための絶対条件は、**「エネルギー準位の間隔が非等間隔であること(非線形性)」**なのです。
2. ジョセフソン接合:非線形性をもたらす魔法の素子
調和振動子のポテンシャル(放物線)を歪めるために、超伝導体を用いた特殊な素子**「ジョセフソン接合(Josephson Junction)」**を導入します。 これは、2つの超伝導体の間にごく薄い絶縁体を挟んだ構造をしています。
2つの超伝導体の巨視的波動関数の位相差を とすると、絶縁体を通して流れる超伝導電流(クーパー対のトンネル電流)は、位相差のサイン関数に比例します(ジョセフソン効果)。
( は臨界電流、 は磁束量子、 は接合にかかる磁束です)
ファラデーの電磁誘導の法則 と、一般的なインダクタの定義 を見比べると、ジョセフソン接合が持つ「実効的なインダクタンス 」が計算できます。
普通のコイル(インダクタンス が一定)とは異なり、ジョセフソン接合のインダクタンスは磁束 に依存して変化します。これが究極の非線形性を生み出します。
3. ジョセフソン・エネルギーと非調和ポテンシャル
この接合に蓄えられるエネルギー(ポテンシャルエネルギー)を計算するため、電流と電圧の積を時間積分します。
ポテンシャルエネルギーが、放物線ではなく**コサインカーブ(周期ポテンシャル)**になりました。 が小さい領域でテイラー展開してみましょう。
第1項だけなら普通のLC回路(調和振動子)ですが、第2項のマイナスの4次項によって、ポテンシャルが外側にいくほど緩やかになります。 第10部の摂動論で計算した通り、この4次項のせいで**エネルギー準位の間隔が狭まっていく(非等間隔になる)**のです。この性質を利用し、下から2つの準位だけを切り出して人工的な「量子ビット」として操作します。
4. 磁束量子ビット(Flux Qubit)の実現
超伝導リングの中に、奇数個(通常は3つ)のジョセフソン接合を組み込んだ回路を**磁束量子ビット(Flux Qubit)**と呼びます。(大関先生の講義で「0.5」付近での振る舞いとして図示されているものです)
外部からリングを貫く磁場(バイアス磁束)をちょうど半整数個の磁束量子()に設定すると、系は究極のジレンマに陥ります。
- 「右回りに電流を流して磁束を増やし、全体で にしよう」とする状態
- 「左回りに電流を流して磁束を打ち消し、全体で にしよう」とする状態
この2つの状態のエネルギーが完全に釣り合い、ポテンシャルは対称なダブルウェル(二重井戸)型になります。 トンネル効果によってこの2つの状態が混ざり合い、系の基底状態と第1励起状態は、右回り電流と左回り電流の「重ね合わせ状態」になります。
これが、量子アニーリングマシン(D-Waveなど)の内部で実際に使われている、超伝導ループを用いた「ミクロな電流の向きの量子重ね合わせ」の正体です。