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第12部:時間依存のシュレーディンガー方程式と断熱近似 —— ゆっくりとした変化と量子アニーリング

前章では、光が当たるなど「急な変化」によって別の状態へジャンプする確率を求めました。では逆に、系の環境(ハミルトニアン)を非常にゆっくりと変化させた場合、量子状態はどうなるのでしょうか? この極限を扱うのが「断熱近似」であり、これは複雑な組み合わせ最適化問題を物理系に解かせる量子アニーリングの絶対的な理論的基盤となります。

1. 瞬間的な固有状態での展開

時間に依存するハミルトニアン があるとき、各時刻 における「その瞬間の固有状態」 を考えることができます。

系の真の状態 を、この瞬間的な固有状態を基底として展開します。このとき、定常状態のときと同様に、時間発展に伴う位相の変化(動的位相) をあらかじめくくり出して(定数変化法のように)定義しておくのが定石です。

2. 厳密な時間発展方程式と行列要素の導出

この状態ベクトル を、時間依存のシュレーディンガー方程式 に代入して微分を実行します。 左から を掛けて直交性を利用すると、展開係数 の変化率に関する次の方程式が得られます。

ここで、右辺の行列要素 を、より物理的な意味がわかる形に書き換えます。 固有値方程式 の両辺を で微分します。

この両辺に左から (ただし )を掛けます。 であり、 であることを用いると、次のように美しく整理されます。

この結果を代入すると、他の状態への「ジャンプ(遷移)」を引き起こす項は、**「ハミルトニアンの変化率(分子)」と「エネルギーギャップ(分母)」**によって完全に支配されることがわかります。

3. 断熱近似:遷移確率と の法則

時刻 で系が完全に基底状態 にあった()と仮定し、第1励起状態 へ遷移してしまう確率振幅 を1次摂動として求めます。上の微分方程式を積分すると次のようになります( とします)。

変化にかける全体の時間を とすると、ハミルトニアンの変化率 はおおよそ に比例します。 さらに、被積分関数にある複素指数関数(激しく振動する位相)の積分を実行すると、数学的な性質から係数にさらに が飛び出してきます(第11部のsinc関数の導出と同様のロジックです)。

結果として、遷移確率 は次のような強烈な比例関係を持つことが導かれます。

これが断熱定理の真の姿です。 遷移を防いで基底状態を保つためには、変化を遅くする( を大きくする)必要がありますが、それ以上に**「エネルギーギャップ が小さくならないこと」が極めて重要**(4乗で効いてくるため)であることが厳密に証明されました。

4. 量子アニーリングへの応用

量子アニーリングは、この断熱定理を計算アルゴリズムとして直接利用します。

  1. 初期状態の準備: 重ね合わせ状態を簡単に作れる横磁場ハミルトニアン を用意し、その基底状態に系をセットします。
  2. 問題のエンコード: 解きたい組み合わせ最適化問題を、イジングモデル の基底状態として表現します。
  3. 断熱時間発展: スケジュール関数 を用いて、時間をかけてゆっくりと と変化させます。

ハミルトニアンの変化が十分にゆっくり()であれば、系は遷移確率 となり、常にその瞬間の基底状態をたどり続けます。計算が終わったとき、私たちは自然と「解きたかった問題 の基底状態(最適解)」を手に入れているのです。

途中、ギャップが極端に狭くなる場所(疑似交差:Avoided Crossing)をいかに安全に通り抜けるかが、量子アニーリング成功の最大の鍵となります。


インタラクティブ・シミュレーター:断熱定理と疑似交差

量子アニーリングの途中で現れる「疑似交差(Avoided Crossing)」での振る舞いをシミュレートします。 基底状態(下のエネルギー準位)にいる粒子が、ギャップが最も狭くなる地点を通過します。

  • スイープ時間 :変化のゆっくりさ。
  • 最小ギャップ :エネルギー準位同士の距離。

これらを変化させて、「ギャップが狭いときには、どれほどゆっくり変化させなければ励起状態へ逃げてしまうのか(計算が失敗するのか)」を、視覚的に確認してください。

エネルギー準位の疑似交差 (Avoided Crossing)

基底状態に留まる確率: 95.9%
励起状態への遷移確率: 4.1%
スイープ時間 (ゆっくりさ) τ:10
最小エネルギーギャップ Δ:0.8

※ 遷移確率 P ∝ exp(-C · τ · Δ²) (ランダウ・ツェナー公式)。
ギャップ Δ が半分になると、同じ成功確率を保つためにスイープ時間 τ は 4倍 必要になります(ノートの 1/(τ²Δ⁴) の関係とも整合します)。

Professor Masayuki Ohzeki Lecture Notes