第11部:時間依存の摂動論とフェルミの黄金律 —— 量子ジャンプの確率
これまでは、時間が経っても変化しない定常状態のエネルギーのズレを計算してきました。しかし、外部から光が当たったり、急に電場が印加されたりした場合、粒子は別のエネルギー状態へと「遷移(ジャンプ)」します。 この章では、時間に依存する摂動論を用いて、量子ジャンプがいつ、どのような条件で起こるのかを解き明かします。
1. 時間依存のシュレーディンガー方程式の展開
ハミルトニアンが時間に依存する場合、 と書けます。 状態ベクトル を、無摂動の固有状態 (エネルギー )の重ね合わせとして展開します。ここで、時間発展の位相因子 を明示的に分離しておくのがポイントです。
これを時間依存のシュレーディンガー方程式 に代入し、左から別の固有状態のブラ を掛けます。無摂動の部分がうまく打ち消し合い、係数 の変化率に関する厳密な方程式が得られます。
2. 1次摂動と遷移確率
ここで、摂動パラメータ について展開します()。 時刻 で系が完全に状態 にあった(, 他は )と仮定すると、別の状態 へ遷移する確率振幅の1次補正は、積分によってただちに求まります。
この絶対値の2乗 こそが、時刻 において状態 が観測される遷移確率です。
3. 一定の摂動と「フェルミの黄金律」
時刻 でスイッチが入り、その後はずっと一定の摂動 がかかり続ける場合を考えましょう。 積分を実行し、オイラーの公式を使って整理すると、遷移確率は次の形になります。
この右辺に現れた という関数(sinc関数の2乗)は、非常に面白い性質を持っています。 時間 が長くなるにつれて、中心()のピークがどんどん高く・鋭くなり、それ以外の場所はゼロに潰れていきます。数学的には、極限 においてこれはデルタ関数 に比例する関数になります。
これを時間 で割って「単位時間あたりの遷移確率(遷移速度)」を求めると、物理学で最も有名な公式の一つである**フェルミの黄金律(Fermi's Golden Rule)**が導かれます。
この公式のデルタ関数 は、**「エネルギーが厳密に保存する()状態間にしか遷移は起こらない」**という強烈な選択律を示しています。
4. 周期的な摂動と光の吸収・放出
一定の摂動だけでなく、光(電磁波)のように時間的に振動する摂動が加わる場合も非常に重要です。 角振動数 で振動する摂動ハミルトニアンは、全体としてエルミート性を満たすように次のように書けます。
これを1次摂動の式に代入して時間 から まで積分すると、遷移確率の振幅は2つの項の足し合わせになります。
時間 が長くなると、分母がゼロに近づく項、つまり指数関数の肩がゼロになる条件(共鳴条件)を満たす項だけが極端に大きくなります。 例えば (状態 のエネルギーが状態 より だけ高い)の場合、第1項のみが支配的になり、遷移確率は次のように近似されます。
フェルミの黄金律(周期的摂動版)
一定の摂動のときと同様に、時間が十分経つとこの関数(sinc関数の2乗)はデルタ関数 に極限的に近づきます。これを時間 で割って単位時間あたりの遷移確率を求めると、周期的摂動におけるフェルミの黄金律が得られます。
このデルタ関数は、**「元の状態のエネルギー に、外部からのエネルギー を足したものが、遷移先のエネルギー に等しい」**という、光子の吸収によるエネルギー保存則を見事に表しています(第2項が支配的な場合は、逆に のエネルギーを放出して低い準位へ落ちる「誘導放出」に対応します)。
5. 遷移の具体例(調和振動子の代数)
生成消滅演算子を用いて、この「エネルギー保存」がどう働くかを見てみましょう。
1次元調和振動子に一定の力()
摂動が の場合、遷移先の行列要素 は の時しか生き残りません。 しかし、 ということは、エネルギーが だけ変化してしまいます。フェルミの黄金律のデルタ関数 はゼロになるため、長時間で見ると遷移は絶対に起こりません。
2次元調和振動子における共鳴()
方向と 方向の2次元振動子に、 という摂動を加えます。 位置演算子を展開すると、 ( の量子数を1減らし、 を1増やす)などの項が現れます。
状態 から への遷移を考えると、エネルギーの変化はどうなるでしょうか? 方向で 、 方向で となるため、系全体のエネルギー差はプラマイゼロ()になります。 このときデルタ関数が生き残り、確実な遷移(エネルギーの交換)が起こります。これが共鳴の正体です。
インタラクティブ・シミュレーター:フェルミの黄金律の誕生
一定の摂動が加わったときの遷移確率の分布関数 を視覚化します。 スライダーで時間 を進めてみましょう。時間が経てば経つほど、ピークが (エネルギー保存を満たす点)に極端に集中し、デルタ関数へと成長していく「黄金律の誕生」を観察してください。
遷移確率分布 P(ΔE) の時間発展
時間が短いため、エネルギー保存が曖昧です。