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第8部:調和振動子と生成消滅演算子 —— 古典からの着想と「昇り降り」の代数

量子力学における調和振動子の攻略法は、微分方程式を解くことだけではありません。実は、古典力学で見られる「複素平面上の回転」という視点から、驚くほどエレガントな演算子の手法(生成消滅演算子)が導かれます。

1. 古典からの着想:フェーズ平面と複素数

古典力学における調和振動子のエネルギー(ハミルトニアン)は次の通りです。

この式は、変数を適切にスケールして とおけば となり、相空間( 平面)上で円を描く運動に対応します。 ここで、複素数 を導入すると、運動は単なる複素平面上の回転 として記述できます。

この「古典的な複素振幅」を量子化したものこそが、生成演算子 消滅演算子 です。

2. 交換関係の定義:演算子の並べ替えルール

量子力学では、演算子 を掛ける順番を入れ替えると結果が変わることがあります。この「並べ方の差」を数学的に定義したものが 交換子(commutator) です。

私たちが扱う位置 と運動量 の間には、次の基本交換関係が成り立ちます。

この「順番を入れ替えると だけズレる」という性質こそが、量子力学を古典力学から分かつ境界線です。

3. ハミルトニアンの再定義:代数的な書き換え

上で定義した の交換関係を計算すると、非常にシンプルな結果が得られます。

このルール()を意識して、古典的なハミルトニアンをこれらの演算子で書き換えると、次のような美しい形に集約されます。

ここで、 は「状態の数(階段の段数)」を数える数演算子として機能します。

4. 固有値 が「正の整数」に限られる理由

では、この数演算子 の固有値 はどのような値をとるのでしょうか。

まず、ある固有状態 に消滅演算子 を作用させた状態 について考えると、交換関係を用いることで、その固有値が に減少することがわかります。これはエネルギーの階段を 段降りることに相当します。

ここで重要なのは、ベクトルのノルム(大きさの2乗)が常に 以上でなければならないという物理的制約です。

もし が整数でなければ、 を掛け続けることでいつか固有値が負の領域に突入してしまい、この制約に矛盾します。 これを防ぐ唯一の道は、固有値 という「整数」であり、 で「もう降りる先がない()」となって止まることです。

5. 基底状態の決定:もう降りられない場所

一番下の状態である基底状態 は、消滅演算子を作用させると になるという性質から具体的に決定されます。

これを位置の視点()から解くと、ポテンシャルの中心に粒子が分布するガウス分布の波動関数が得られます。

6. 零点振動:止まれないミクロの世界

ハミルトニアンの式の末尾にある に注目してください。 量子数 の基底状態であっても、エネルギーは という値を持ちます。 不確定性原理によって粒子が完全に静止することが許されないために生じるこのエネルギーを、零点エネルギーと呼びます。

7. 励起状態の構築:階段を昇る

基底状態 が決まれば、あとは生成演算子 を次々と作用させるだけで、すべての励起状態(より高いエネルギー状態)を作ることができます。

の状態は、基底状態に生成演算子を一度作用させたものです。

これを位置の視点()から計算すると、運動量演算子が微分に化け、元のガウス分布に が掛かった形になります。

一般に、状態 は生成演算子を 回作用させて作られますが、そのたびに係数 が出てくるため、確率の合計が になるように で割って規格化します。

8. 固有状態の直交性

異なるエネルギー状態同士の内積 を計算してみましょう。 状態を生成演算子で展開して計算すると、消滅演算子 がもう一方の基底状態 に向かって作用していく形になります。

もし であれば、 回作用しようとしますが、先に 回分で状態が まで降り切ってしまい、残りの消滅演算子が を「消滅」させるため、結果は完全にゼロになります。逆の場合も同様です。 したがって、同じ状態の時だけ になり、違う状態なら になるという直交性が見事に証明されます。

9. 行列力学への帰着:演算子の行列表示

第6部で学んだ「完全性の関係(恒等演算子の挿入)」 を使うと、生成演算子 がどのような「行列」として働くのかを具体的に書き下すことができます。

行と列の成分 を計算すると、 は状態 に引き上げ、係数 を出すため、 の成分だけが生き残ります。

これを行列の形に並べると、対角線の「一つ下」に が並ぶ、無限次元の行列になります。

同様に、消滅演算子 は対角線の「一つ上」に が並ぶ行列となります。

このように、シュレーディンガーの「波動力学」で苦労して解いていた微分方程式は、ハイゼンベルクが提唱した「行列力学」における無限次元の行列の掛け算と完全に等価であることが、ブラ・ケット記法を通じて鮮やかに証明されるのです。


インタラクティブ・シミュレーター:波動力学と行列力学の同期

生成・消滅演算子のボタンを押して、状態を昇り降りしてみましょう。 左側では「空間の波」が形を変え、右側では「無限次元行列の要素」が状態ベクトルに作用している様子が同時に観察できます。 波の複雑な振動が、行列ではたった1つの成分(例えば )を掛け算するだけのシンプルな操作に帰着している美しさを体験してください。

生成演算子 ↠の行列

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状態ベクトル |0⟩
エネルギー E = (0 + 1/2)ℏω₀

Professor Masayuki Ohzeki Lecture Notes