補遺: Landau-Zener遷移
量子アニーリングで「ゆっくりハミルトニアンを変える」と言うとき、何が起これば成功で、何が起これば失敗なのでしょうか。その最小模型がLandau-Zener遷移です。二準位系のエネルギー差を時間に比例して変え、二つの状態を横方向の結合で混ぜる。たったこれだけで、量子ゆらぎ、エネルギーギャップ、非断熱遷移、アニーリング時間の意味が見えてきます。
1. 二準位ハミルトニアン
基底
とします。行列で書けば
です。
で、
となり、エネルギーギャップは
です。最小ギャップは
です。横磁場がないとギャップは閉じ、横磁場があるとギャップが開きます。この一点が、量子アニーリングの直観をかなり支えています。
コラム 2024大学院講義 第7回 0:18:00-0:22:00
Landau-Zenerを避けずに読む理由
Landau-Zener遷移は古典的なトピックですが、量子アニーリングを考えるうえでは今でも避けて通れません。講義では、式そのものは二準位系の練習問題のように見えるのに、解析は意外に難しく、だからこそ何度も新しい導出が工夫されてきた、という雰囲気も紹介されました。
ここで学ぶべきことは、古い問題を暗記することではありません。横磁場が状態を混ぜ、ギャップを作り、掃引速度と競争します。その競争の最も小さな舞台がLandau-Zener問題です。
量子アニーリングでは、いずれ多量子ビットの横磁場Ising模型を動かします。しかし講義では、その前に一量子ビットの時間依存問題へ戻ります。Landau-Zener遷移は1930年代からある古典的な問題ですが、横磁場、ギャップ、非断熱遷移を一つの式で見るには今でも最良の入口です。
同時に、古いから簡単というわけではありません。講義では、近年にも「Landau-Zener公式を簡単に導く」という論文が出るほど、導出にはいろいろな工夫があると紹介されます。ここでは厳密解の技巧を味わうよりも、手元の道具で二準位ハミルトニアンを書き、何が起きているのかを読めるようにすることを優先します。
設定は、時間に比例して変わる縦磁場 $-\hbar\alpha t\sigma^z$ と、二状態を混ぜる横磁場 $-\hbar g\sigma^x$ です。$z$ と $x$ は交換しないので、縦磁場だけでラベルされていた二つの状態が、原点付近で混ざります。行列としてはたった $2\times2$ ですが、量子アニーリングで何度も出てくる構造がここに凝縮されています。
この問題を避けない理由は、横磁場を入れるとギャップが開く、ギャップが小さいところではゆっくり進める必要がある、という直観を数式で持てるからです。後で大きなIsing模型を見るときも、局所的にはこの二準位の競争を思い出すことになります。
2. 横磁場がない場合
まず
と置くと、Schrodinger方程式から
が得られます。解は
です。振幅の絶対値は変わらず、位相だけが回ります。つまり、
3. 横磁場がある場合
となります。二つの微分方程式が結合し、
瞬間固有状態を
と書きます。
4. 位相を外して振幅を追う
ここから、公式をただ眺めるのではなく、振幅の計算を追ってみます。連立方程式の中で大きく振動しているのは、縦磁場
これを連立方程式に代入します。
これは回転座標系に移ったような式です。縦磁場によってぐるぐる回る位相は吸収され、横磁場
です。まず
となります。これを
ここで大切なのは、
したがって
となります。ここまで来ると、量子力学というより、あとは振動する積分をどう評価するかという問題になります。
5. Fresnel積分を評価する
最終時刻
内側の積分範囲を
ただし
です。残る
を使うと、
です。したがって
が得られます。
となります。
で、横磁場が弱い、あるいは掃引が速いと、低エネルギー状態への乗り換えは小さくなります。この計算は、Landau-Zener公式の指数が「横磁場の二乗」と「掃引速度」の比で決まることを、手を動かして見せてくれます。
6. Landau-Zener公式の読み方
Landau-Zener問題の有名な結果は、初期時刻
です。この式は、上で採用したハミルトニアン
の規約に対応します。文献によって
式から分かることは明快です。
これが「ギャップが大きいところは速く動かしてもよいが、ギャップが小さいところはゆっくり動かす」という断熱計算の基本直観です。
コラム 2024大学院講義 第7回 1:22:00-1:33:00
横磁場が遷移を起こす
横磁場がないと、縦磁場をどれだけ変えても、状態は位相を回すだけで別の基底状態へ移りません。横磁場が入ると、二つの状態が混ざり、基底状態を追いかける道ができます。
講義では、$P_{\rm LZ}$ の指数を見ながら、横磁場を大きくすること、掃引をゆっくりにすることが、低エネルギー状態への追随を助けると説明されました。量子アニーリングの「横磁場を入れて、ゆっくり変える」という言葉が、ここで初めて式として手触りを持ちます。
横磁場がない場合、縦磁場を時間で反転させても、状態は位相を回すだけです。$|0\rangle$ にいた成分は $|0\rangle$ のまま、$|1\rangle$ にいた成分は $|1\rangle$ のままで、低エネルギー状態のラベルが入れ替わっても、状態そのものは乗り換えられません。これでは最終的な基底状態へたどり着けません。
横磁場を入れると、連立微分方程式の中で二つの振幅が互いに流れ込みます。講義では、横磁場を「揺らす」ものとして説明し、途中で重ね合わせを作るからこそ、片方の状態からもう片方の状態へ移れるのだと強調します。量子アニーリングの横磁場は、ただ量子らしさを足す飾りではなく、状態を移す通路を作る項です。
Landau-Zener公式では、励起状態に残る確率が $\exp(-\pi g^2/\alpha)$ のように指数で抑えられます。横磁場 $g$ が大きければギャップが開き、失敗確率は小さくなります。掃引速度 $\alpha$ が小さければ、ハミルトニアンの変化が遅く、状態は瞬間基底状態を追いやすくなります。
この式を読むだけで、量子アニーリングの基本語彙が一気につながります。コスト関数をハミルトニアンに埋め込み、横磁場で状態を混ぜ、十分ゆっくり変化させて低エネルギー状態へ導く。大きな問題でこの直観を使うには、Landau-Zenerの最小模型を一度は手で見ておく必要があります。
7. 断熱条件との関係
一般の時間依存ハミルトニアンでは、瞬間固有状態
のように書きます。分子はハミルトニアンを動かす速さ、分母はエネルギーギャップの二乗です。
Landau-Zener模型では、
8. 量子アニーリングへの翻訳
量子アニーリングでは、
のようにハミルトニアンを変えます。途中で小さなギャップが現れると、Landau-Zener遷移と同じ構図で励起状態へ漏れます。失敗を抑えるには、
のように、ギャップが小さい場所でスケジュールを遅くするのが自然です。この考えは、補遺: グローバー探索問題で局所断熱スケジュールとして具体化され、補遺: QAの収束定理では一般のIsing型最適化問題に対する十分条件として現れます。
参考文献
- Clarence Zener, “Non-adiabatic crossing of energy levels,” Proceedings of the Royal Society of London. Series A, Containing Papers of a Mathematical and Physical Character 137, 696–702 (1932). 出典
- Eric P Glasbrenner, Wolfgang P Schleich, “The Landau–Zener formula made simple,” Journal of Physics B: Atomic, Molecular and Optical Physics 56, 104001 (2023). 出典
