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1日目: 量子アニーリングの基礎 ​

動画 2026-09-01 / 3時間54分 / YouTube Live
対応PDF 科学大2026 p.2-13、20260903 p.2-7
主題 Ising模型、横磁場ドライバー、断熱定理、森田・西森スケジュール、反断熱項、QAOAへの入口

この日の式の地図 ​

1日目は、量子アニーリングを「何となく量子ゆらぎを入れる方法」としてではなく、ハミルトニアンの基底状態を時間発展で追う方法として定式化する回です。式の流れは、目的ハミルトニアン、ドライバー、補間、断熱定理、非断熱遷移、反断熱項の順に進みます。

段階式の役割対応ページ
問題設定最適化問題を H^0 の基底状態問題にする科学大 p.2-4 / 20260903 p.2
断熱追随|ψ(t)⟩ を瞬間固有状態で展開し、励起振幅を評価する科学大 p.5-8 / 20260903 p.3-4
スケジュール改善端点微分を消して遷移確率の次数を上げる科学大 p.7-8 / 20260903 p.4-5
反断熱駆動非断熱遷移を打ち消す H^CD を構成する科学大 p.9-11 / 20260903 p.5-7
QAOAの入口連続時間発展をゲート列へ落とす準備科学大 p.12-13 / 20260903 p.7

コラム 1日目 0:12:24-0:16:10 / 0:16:10-0:22:10

板書を残すためのYouTube Live

冒頭では、この集中講義を黒板だけで終わらせず、YouTube Liveのアーカイブとして残す意図が語られました。対面の板書講義のよさを保ちつつ、受講者があとから何度も戻れるようにする、という設計です。

コロナ禍以後、講義記録が残ることの価値は大きくなりました。PC上の手書き板書とコメント欄での質問を組み合わせることで、3日間の集中講義そのものが「あとで参照できる研究ノート」に近づいています。

全体像として、1日目は量子アニーリングと断熱定理、2日目はHopfield模型・量子モンテカルロ・鈴木-トロッター分解、3日目は虚時間Schrodinger方程式・Fokker-Planck方程式・拡散モデルへ進む、と予告されました。

1. 最適化問題をIsingハミルトニアンへ写す ​

量子アニーリングの第一歩は、解きたい組合せ最適化問題をハミルトニアンの基底状態問題として書くことです。板書では、目的ハミルトニアンを

H^0=−∑⟨i,j⟩Jijσ^izσ^jz−∑i=1Nhiσ^iz

と置きます。σ^iz は i 番目のスピンに作用するPauli行列で、測定値は σi=±1 です。したがって、古典的なビット列 σ=(σ1,…,σN) に対しては

E(σ)=−∑⟨i,j⟩Jijσiσj−∑i=1Nhiσi

というエネルギー関数になります。この E(σ) が小さいほどよい、最小値を与える σ が最適解、という対応です。

講義では、Ising模型をHeisenberg模型の簡略化として導入しています。等方的なHeisenberg相互作用は本来

H^Heis=−J∑⟨i,j⟩(σ^ixσ^jx+σ^iyσ^jy+σ^izσ^jz)

のように x,y,z 成分をすべて含みます。Ising模型では、そのうち z 成分だけを残して

H^Ising=−J∑⟨i,j⟩σ^izσ^jz

とします。この単純化によって、σ^z の固有値 ±1 を古典スピンとして読みやすくなります。

Pauli行列は

σ^x=(0110),σ^y=(0−ii0),σ^z=(100−1)

で、交換関係

[σ^x,σ^y]=2iσ^z,[σ^z,σ^x]=2iσ^y

を満たします。σ^z の固有状態を |0⟩,|1⟩ と書けば、

σ^z|0⟩=+|0⟩,σ^z|1⟩=−|1⟩

です。ここで重要なのは、H^0 が σ^z だけで書かれている限り、古典的なビット列を対角成分として読めることです。

科学大2026 p.2
科学大2026 p.2: 目的ハミルトニアン、横磁場、補間
20260903 p.2
20260903 p.2: Ising模型とPauli行列

コラム 1日目 0:31:36-0:32:32 / 0:32:32-0:33:29

量子アニーリングは何を解くために生まれたか

講義では、量子アニーリングを「量子力学のダイナミクスを使って組合せ最適化問題を解くためのアルゴリズム」として導入しています。ここでの主役は、抽象的な量子計算そのものではなく、解きたい問題をエネルギー最小化として読み替える手続きです。

門脇・西森の提案が触れられ、Ising模型の基底状態を求めることが最適解を得ることに対応する、という基本線が確認されました。経路探索やナップサック問題のように、0/1またはプラス・マイナス1の離散変数が増えると候補が爆発する、という実感からこの定式化に入ります。

2. 横磁場ドライバーから始める ​

目的ハミルトニアンだけでは、古典的な候補状態のエネルギーを比べる問題に戻ってしまいます。そこで、H^0 と可換でないドライバーハミルトニアンを入れます。標準的には

H^1=−Γ∑iσ^ix

です。σ^x は σ^z の固有状態を反転させるので、H^0 の対角基底では非対角項になります。これが量子ゆらぎの正体です。

横磁場だけの基底状態は、各スピンが

|si⟩=12(|0⟩+|1⟩)

にある直積状態で、

|s⟩=⨂i=1N|si⟩=⨂i=1N12(|0⟩+|1⟩)

と書けます。この状態はすべての古典配置を同じ振幅で含むため、初期状態として用意しやすい状態です。

講義では、ゆらぎの種類も対応づけています。

見方変数・演算子意味
熱ゆらぎσ→P(σ)確率分布で古典状態を重みづけする
量子ゆらぎσ→σ^非可換な演算子で状態を混ぜる
サンプルゆらぎJ→Jijスピングラスの乱雑さとして相互作用をばらつかせる

この整理は、後でシミュレーテッドアニーリング、量子モンテカルロ、拡散モデルを同じ講義の中で見比べるための伏線になっています。

コラム 1日目 0:45:04-0:47:20

Ising模型だけが唯一の入口ではない

シミュレーテッドアニーリングの「パラメータをゆっくり変えると低エネルギー状態へ行きやすい」という直観が、量子アニーリングにも流れ込んでいます。ただし、横磁場の強さは大きければよいわけではなく、目的ハミルトニアンのエネルギースケールと合わせる必要があります。

また講義では、Ising模型が唯一の表現ではないことも補足されました。原理的には、目的関数を何らかのハミルトニアンに埋め込み、それと可換でないドライバーを用意できればよいです。Ising形式が中心になったのは、スピングラス理論との接続と、二準位系として実装しやすい物理的事情が大きい、という説明です。

3. 時間依存ハミルトニアンで目的状態へ運ぶ ​

量子アニーリングでは、時間依存ハミルトニアン

H^(t)=f(t)H^0+{1−f(t)}H^1

を考えます。補間関数は

f(0)=0,f(T)=1

を満たします。初期時刻では H^(0)=H^1 なので作りやすい横磁場の基底状態から始められ、終時刻では H^(T)=H^0 なので、目的ハミルトニアンの基底状態を得ることが目標になります。

線形スケジュールなら

f(t)=tT

です。講義では無次元時間

s=tT(0≤s≤1)

も使います。このとき

H^(s)=sH^0+(1−s)H^1,dH^ds=H^0−H^1

となります。

実時間のシュレーディンガー方程式は

iℏddt|ψ(t)⟩=H^(t)|ψ(t)⟩

であり、s=t/T に直すと

iℏdds|ψ(s)⟩=TH^(s)|ψ(s)⟩

です。ここで T がアニーリング時間です。T が大きいほど、同じ s の変化を物理時間としてゆっくり通過することになります。

コラム 1日目 0:57:33-1:02:28

QAとAQC、同じ絵をどちら向きに描くか

門脇・西森の量子アニーリングでは、横磁場を強くしておき、それを0へ下げる書き方が自然に現れます。一方でFarhiらの量子断熱計算、AQCでは、補間パラメータを0から1へ動かす書き方が前面に出ます。

講義中の歴史談では、量子アニーリングの提案が先にあり、その経緯を西森先生が国際会議などで丁寧に説明し続けたことが紹介されました。数式としては同じような補間を扱っていても、何を強調して名づけるかで研究コミュニティの見え方が変わる、という好例です。

4. 瞬間固有状態で展開する ​

断熱定理の導出では、各時刻の瞬間固有状態

H^(s)|j(s)⟩=Ej(s)|j(s)⟩

を基底として波動関数を展開します。動的位相を分けて

|ψ(s)⟩=∑jC~j(s)exp⁡[−iTℏ∫0sEj(u)du]|j(s)⟩

と書きます。板書では

ϕj(s)=∫0sEj(u)du

を使い、位相差を ϕk−ϕj として追っています。

この展開をシュレーディンガー方程式に代入し、左から ⟨k(s)| をかけると、

dC~kds=−∑jC~j(s)exp⁡[iTℏ{ϕk(s)−ϕj(s)}]⟨k(s)|dds|j(s)⟩

が出ます。右辺の

⟨k(s)|dds|j(s)⟩

が、瞬間固有基底そのものが動くことによって生じる非断熱結合です。

固有値方程式を s で微分すると

dH^ds|j⟩+H^dds|j⟩=dEjds|j⟩+Ejdds|j⟩

です。k≠j として左から ⟨k| をかければ、

⟨k|dds|j⟩=⟨k|dH^ds|j⟩Ej−Ek

を得ます。符号は分母を Ej−Ek と置くか Ek−Ej と置くかで変わりますが、遷移確率を支配するのは絶対値です。つまり非断熱遷移は

|⟨k|dH^ds|j⟩||Ej−Ek|

で大きくなり、分母にエネルギーギャップが現れます。

科学大2026 p.5
科学大2026 p.5: 瞬間固有状態への展開
20260903 p.3
20260903 p.3: 非断熱結合とギャップ

5. 励起振幅を評価する ​

初期状態が基底状態で、

C~0(0)=1,C~k(0)=0(k≠0)

とします。励起状態 |k⟩ への振幅を1次で評価すると、

C~k(s)≃∫0sduexp⁡[iTℏΔϕk0(u)]⟨k(u)|dH^du|0(u)⟩Δk0(u)

です。ここで

Δk0(u)=Ek(u)−E0(u),Δϕk0(u)=ϕk(u)−ϕ0(u)

としました。

板書では、この振動積分を部分積分して T 依存性を見ます。位相因子は

dduexp⁡[iTℏΔϕk0(u)]=iTℏΔk0(u)exp⁡[iTℏΔϕk0(u)]

を満たすため、積分から 1/T を外へ出せます。代表的には

|C~k(s)|≲2ℏTmaxs|⟨k(s)|dH^ds|0(s)⟩Δk0(s)2|

となります。励起確率を ϵ 以下にしたければ、

T≳2ℏϵmaxs|⟨k(s)|dH^ds|0(s)⟩Δk0(s)2|

が必要です。よく言われる「断熱時間は最小ギャップの2乗の逆数で効く」という見方は、ここから出ます。

線形スケジュールでは dH^ds=H^0−H^1 が一定なので、ギャップが小さい場所では分母だけが急激に効きます。この点が、量子アニーリングの難しさの中心です。

6. 基底状態への収束を保証する横磁場の減衰 ​

部分積分の議論は、スケジュールの端点を滑らかにする発想につながります。板書では、森田・西森スケジュールとして

dmH^dsm|s=0,1=0

を満たすようにスケジュールを設計する考え方が示されています。m 階まで端点微分を消せると、励起振幅は

|C~k(1)|2∼1T2(m+1)

の次数で小さくなる、という形で改善されます。

この話の要点は、ギャップの最小値だけを見て「時間を長くする」ことではありません。ハミルトニアンの変化をどの時刻でどれだけ急にするかが、非断熱遷移を決めます。端点で急に動き出したり止まったりすると、そこで励起を作ります。端点の導関数を消すことは、始め方と終わり方を丁寧にする工夫です。

科学大2026 p.7
科学大2026 p.7: 部分積分による断熱条件
20260903 p.4
20260903 p.4: 端点条件とスケジュール改善

コラム 1日目 3:03:47-3:05:27

「断熱」という言葉の違和感

終盤では、「断熱」という言葉が熱浴のない孤立系にも使われることへの違和感が話題になりました。ここでの断熱は、熱の出入りがないという日常語の意味よりも、ゆっくり変えて励起を起こさないという量子力学の慣習的な意味で使われています。

森田・西森スケジュールは、その「ゆっくり」を一様な遅さではなく、非断熱遷移を起こしやすい場所で丁寧に通るための設計として読むと分かりやすくなります。ギャップが小さい場所が分かるならそこを遅く、分からなくても始点と終点の傾きを落とす、という発想です。

7. 反断熱項を厳密に書く ​

CD駆動は、断熱ショートカット(STA)を実現する一つの方法です。STAの到達条件・QAでの研究一覧・手計算の例では、終点だけを合わせる逆設計との違いも扱います。

断熱的にゆっくり動かす代わりに、励起を打ち消す項を足すことができます。これが反断熱駆動、または counter-diabatic driving です。

瞬間固有状態 |n(t)⟩ に沿った解を

|ψ(t)⟩=eiϕn(t)|n(t)⟩

と置きます。この状態を有限時間でも厳密に追随させるハミルトニアンを

H^∗(t)=H^(t)+H^CD(t)

と書きます。シュレーディンガー方程式へ代入すると、

H^∗(t)|n(t)⟩=−ℏϕ˙n(t)|n(t)⟩+iℏ|n˙(t)⟩

です。ここで ˙ は t 微分です。

位相はゲージ自由度を持つので、対角成分を

⟨n(t)|H^CD(t)|n(t)⟩=0

と選ぶと、

ϕ˙n(t)=−1ℏEn(t)+i⟨n(t)|n˙(t)⟩

となります。そのとき反断熱項は

H^CD(t)=iℏ∑n(|n˙(t)⟩⟨n(t)|−⟨n(t)|n˙(t)⟩|n(t)⟩⟨n(t)|)

です。ゲージを ⟨n|n˙⟩=0 に選べば、より単純に

H^CD(t)=iℏ∑m≠n|m(t)⟩⟨m(t)|n˙(t)⟩⟨n(t)|

と読めます。

さらに、固有値方程式の微分から

⟨m(t)|n˙(t)⟩=⟨m(t)|H^˙(t)|n(t)⟩En(t)−Em(t)(m≠n)

なので、

H^CD(t)=iℏ∑m≠n⟨m(t)|H^˙(t)|n(t)⟩En(t)−Em(t)|m(t)⟩⟨n(t)|

と書けます。ここまでが厳密なCD項です。

ただし、この式にはすべての瞬間固有状態とエネルギー差が必要です。大規模な最適化問題では、それ自体が難しいです。そのため講義はすぐに「実装可能な近似CD項」へ進みます。

8. 断熱ゲージポテンシャルの変分原理 ​

厳密なCD項は、非断熱項を消す条件

G(t)=dH^dt+i[H^CD(t),H^(t)]

が対角的になるように作られています。固有状態間の非対角成分で見ると、

i⟨m|H^˙|n⟩=⟨m|[H^CD,H^]|n⟩

が成立する、という形です。

Sels-Polkovnikovの変分的構成では、補間パラメータ λ に対する補助演算子 A^λ を用意し、

Gλ(A^λ)=∂λH^+i[A^λ,H^]

を定義します。そして

minA^λTr[Gλ(A^λ)2]

を解くことで、実装しやすい演算子族の中でCD項を近似します。

変分をとると

δGλ=i[δA^λ,H^]

なので、

2Tr[GλδGλ]=2iTr[Gλ[δA^λ,H^]]=0

です。トレースの巡回性

Tr[A^B^]=Tr[B^A^],Tr[A^[B^,C^]]=Tr[[C^,A^]B^]

を使うと、理想的には

[H^,Gλ]=0

を満たす方向に A^λ を選ぶ、という見方になります。

線形補間

H^(λ)=λH^0+(1−λ)H^1

では

∂λH^=H^0−H^1

です。最も単純な候補として

A^λ∝i[H^,∂λH^]∝i[H^0,H^1]

が現れます。Ising目的ハミルトニアンと横磁場ドライバーを使うと、Pauli行列の交換関係により

[σ^z,σ^x]=2iσ^y

が効くため、近似CD項には σ^y 型の項が自然に出ます。板書の「これなら作れそう」というコメントは、厳密式そのものではなく、局所的・低次の演算子で近似する方向へのコメントです。

科学大2026 p.10
科学大2026 p.10: 変分CD項とトレースの巡回性
科学大2026 p.11
科学大2026 p.11: $i[H_0,H_1]$ 型の近似CD項

9. QAOAへ続く橋 ​

1日目の最後には、QAOAへ入る準備として、時間発展演算子

U(T)=exp⁡(−iℏ∫0TdtH^(t))

を離散化する見方が出てきます。時間幅 Δt=T/n で切ると

U(T)≃∏k=1nexp⁡(−iΔtℏH^k),H^k=H^(kΔt)

です。さらに H^k=fkH^0+(1−fk)H^1 をTrotter分解すれば、

U(T)≃∏k=1nexp⁡(−iΔtℏfkH^0)exp⁡(−iΔtℏ(1−fk)H^1)

となります。この fkΔt/ℏ と (1−fk)Δt/ℏ を固定スケジュールではなく変分パラメータとして最適化する、という発想が2日目のQAOAへつながります。

コラム 1日目 3:49:13-3:52:13

QAOAへ渡して1日目を閉じる

1日目の最後には、翌日も13時20分開始、13時ごろから配信開始という案内がありました。大学院講義にYouTube Liveらしい反応が来るという軽い雑談もあり、硬い断熱定理の回が、翌日のQAOAと量子モンテカルロへ少し柔らかくつながって終わっています。